心に折り合いをつけてうまいことやる習慣
著者:中村恒子
学びまとめ
「お金のために働く」でいい
立派な志とか目標とかがなくてもいい、お金をもらうために働けばいい。
これは就活の時に知りたかった。就活の時、やりたいことが見つからずにかなり苦労したから。
まあ就活時は面接のためにある程度キャリアプランを考える必要があるけど、
それを「建前でいいんだ」と思えてたらどんなに楽だったか…。
逃げるもやめるも最後は自分が決める
人や環境を理由にしない。
行動するときの理由として「逃げたい」という後ろ向きな気持ちも必要だし否定しない。
転職する後輩に「後ろ向きな理由で転職すると後で後悔するよ」と伝えてきたのだけれど、
別にそんなこともなかったかもな、とこの本を読んで思った。
転職活動をするくらい「逃げたい」と思う原動力があるなら、転職したほうが良いと思う。
「幸せでなければならない」と思わない
義務に思うと欲が出て自分を苦しめる、人と比べてしまってつらくなる。
己を知り己にとってのほどほどを知り、適度に諦めていく。
諦める=明らかにする、自分の生き方をはっきりさせること。
「諦める」って言葉はあんまり好きではなかったけど、やらないと決めて前に進むという意味では、人生において必要な行動なのかも。
「自分がどうしたら快適に過ごせるか」にエネルギーを使う
人を変えることにエネルギーを使わない。
結局どこにいっても100%満足できる環境はない!
ここでもっと快適に過ごすにはどうしたらいいだろう?と考える。
これは真理。
ちょっと嫌になったらすぐ辞めたり次に行ったりする人は多いけど、結局どこに行っても嫌なことはある。
それに気づかないとずーっと何も続かなくなりそう。
仲良くなる人は「好き嫌い」で選べ
損得勘定で人間関係を作らない!
その日を生きていくことを考えると、自然と好きな人と一緒にいる。
確かに、「自分によって心地よい状態を維持する」ことを考えると、付き合う相手も「好き嫌い」で決めていいんだよなあ。
損得勘定を考えた関係=今を楽しんでなくて、未来に思考が向いている関係な気もする。
うまくいかないときは進む
「人生そういうもの」だと思って立ち止まらない。
日々の生活をたんたんとするといつの間にか谷を抜けている。
たまには休むのも大事だけど、上手くいかないからといって落ち込んでふさぎ込んだりするのは×。
夜に色々考えない
「今考えるべきこと」とそうでないことをしっかり区別して切り離す。
夜は気持ちを切り替えて寝る。
科学的にも、寝る前に不安ごとやネガティブなことを考えるのは睡眠の質的にもよくないらしい。
悲しいこと・ショックなことは時間が解決する
考えないようにするには暇を作らないこと。
人間関係を広めたり、知らなかった世界を見たりして刺激を与えていく。
元気でいられる貴重な時間を過去のために使ったらもったいない!
↑この言葉好きだなあ。
死に方を心配するな
死ぬときは自然の流れに任せる。孤独死であっても穏やかに死ねたらOK。
振り返り
90歳近い精神科医が書いた本だからこその説得力
よくある自分労わり系の本かな?と思って読んでみたが、意外と真似したい考え方がたくさんあった。
自分も戦争を経験しながら、精神病患者と関わって人間の心を専門としている人だからこその、ゆるい教え。
結構自分にとっては居心地のいい本でした。
とはいえですが、読んでみて、すべて「なるほど!実践しよう」と思ったわけではない。(どの本もそうだけど)
例えば、「頼まれやすい人になる」という教えがあったが、私はあまり賛同しなかった。
なんでも引き受けることで自分も親切にしてもらえる、という内容なんだが、ほどほどにしといた方がいいというのが私の考え。
誰の頼みでもホイホイ聞いていると、いいように使われる(特に他の人から親切にされない人使いの粗い人から好かれてしまう)という経験があるから。
著者は、ちゃんと親切を返してもらえる良い人たちに囲まれてたんだろうなあと思うと羨ましい。
かなり仕事ホリックな働き方をされてた方なんだなあ
読んでいて、かなりお仕事をされてきた方、いや正確には仕事に愛された方だったのかなと思う。
学びの最初にあったように、全員が仕事に使命感を持つ必要はないんだよね。
情熱を持っていたわけでもないが、こうやってずっと医師として人から必要とされて働き続けてこられたのは純粋に尊敬する。
エピソードが面白い
一人の人生の軌跡を追うのはとても面白い。
中村先生は戦争を経験しており、戦後に精神科医となっている。旦那さんとの結婚生活やご両親との同居生活はかなり苦労されていて、仕事も家庭もすごい人生だな……と思った。
仕事熱心・仕事大好き!、医者になるために生まれたんだ!というスタンスだったら、中村先生みたいにこんなに長く勤めてなかったんじゃないかなと推測(逆にね)。
達観しているというか、程よい力の抜き具合が「良い先生」の要素だったんじゃないかなあ。