著者:岸見 一郎, 古賀 史健
2016年2月26日発行
学びまとめ
教育の目標は「自立」
教育とは介入ではなく、自立に向けた支援でなくてはならない
他社がいて社会があるから「知」が必要
自立するためには「人間知」(対人関係の実践から学ぶ知)を共に考えることが必要
教育するためには相手を尊敬せよ
尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のこと
尊敬は、その人が「その人であること」に価値を置くため、無条件に行える
尊敬は、その人の関心事に対して関心を寄せること(共同体感覚)
どんな権力者であっても「尊敬」と「愛」は人に強要しえない
心を表す三角柱
「悪いあの人」「かわいそうな私」「これからどうするか」
思い悩んだ人間が訴えるのは、「悪いあの人」「かわいそうな私」だけ
本来語り合うべきなのは「これからどうするか」である
子どもの問題行動の目的は「注目されたい」
問題行動の5段階
- 称賛の要求(ほめてほしい、いい子な行動をする)
- 注目喚起(とにかく目立とうとする)
- 権力争い(反抗または不従順になる)
- 復讐(憎まれることで注目してもらおうとする)
- 無能の証明(全てを諦めて期待を拒絶する)
※問題行動の大半は3段階目(権力争い)でとどまる
これらは「所属感」(共同体の中に特別な地位を確保すること)を目的とする
子どもを叱ってはいけない
子どもの叱られるような行動は「知らなかった」だけ
⇒このときは叱るのではなく、教えるが正しい
注目されたいという目的による反抗行動だった場合
⇒行動の目的に注目し、彼らとともに「これからどうするか」を考えるべき
叱る=暴力と同義であり、未熟で愚かな好意である
叱ることで子どもをコントロールしようとしているだけ
子どもを褒めてはいけない
褒める=能力のある人が、能力のない人に下す評価で、目的は「操作」である
褒賞が競争を生み、他社は敵だという思考になる
人間は弱さゆえに共同体を作り生きてきたため、すべての人間に共同体感覚が内在している
他人からの承認には終わりがなく、承認ばかり求め続けると「自立」できない
「自立」とは、自らの意思で自らを承認すること
自分の人生は自分で決めろ
教育において、許可を与える・条件を付ける・禁止するという行為はすべて子供を「依存」と「無責任」の地位に置く行為である
そうではなく、自分の人生は自分で決めるものだと教え、決めるにあたって必要な材料を提供することが教育者のあるべき姿
⇒その選択によっておこる結末を最終的に引き受けるのは誰か?
「課題の分離」!
人生の3つのタスク
- 仕事(の関係):生き延びるためにやらねばいけないこと。人間は一人では生きていけないから、他社と分業して生きなければいけない
- 交友(の関係):内なる共同体感覚を掘り起こすこと。
- 愛(の関係)
このタスクは、個人が社会で生きていくにあたって直面せざるを得ないもの
「信用」と「信頼」の違い
信用…相手のことを条件付きで信じること = これは仕事の人間関係
信頼…相手のことを無条件で信じること = これは交友の人間関係
そして信頼とは、「その人を無条件で信じる自分」を信じること
先に信じろ
他人を信じられないのは、自分のことを信じられないから
自分を好きになって、初めて他人を信じられる
相手が自分を信じてくれるかどうかは、他人の課題である
人を愛することで、人生の主語が変わる
愛とは築くもの
手に入ったら飽きてしまう愛は、愛ではない
愛とは「ふたりで成し遂げる課題」であり、主語が「私」から「私たち」に変わる
「自立」とは、私からの脱却
愛することで主語が変わり「私」が消えてなくなり、自己中心性がなくなって初めて自立できる
子どもの頃は親から愛されるために自己中心的なライフスタイルを選択する
(泣き叫ぶ、怒る、反抗するなどは、親の注目を得るための生存戦略である)
与えられる愛の支配から抜けるには、自らの愛を持つ以外に方法はない
愛とは決断である
運命の人はいないが、「運命だと信じる」ことを決意することはできる
「この人を愛すれば自分はもっと幸せになれる」という人を愛する
「人を愛する勇気」は「幸せになる勇気」である
振り返り
間違いなく2024年のbook of the year
「嫌われる勇気」で衝撃を受け、やっと借りた「幸せになる勇気」でさらに学び。
これ手元に置いておきたいなーってくらい良本でした。
教師や親は全員読んだ方がいいんじゃないかと思うくらい。
いや、「愛すること」がメインテーマなので、全人類が読んだ方がいいんじゃないかと思うくらい。
すごく腑に落ちたし、もし子供ができたら実践したい。
病みがちな私に光を差し込んでくれたアドラー心理学、メンタル弱い人にお勧めしたい。
「先生のおかげで合格できた」は教育失敗
結構衝撃的だったのが、「先生のおかげで合格できました!」という生徒の言葉は、教育失敗ということ。
教育の目標が「自立」なのだとすると、「先生のおかげ」と言わせてしまう時点で教育は失敗しているらしい。
本来、自らの力で成し遂げたと感じてもらわなければならない。。
この言葉、先生だったら言われたいセリフno.1なのでは…?
もし、教育者であれば、
「先生がいたから頑張れた」とか、
「課長がサポートしてくれたから乗り越えられた」とか、
「お母さんがいたから幸せだった」とか、
そういった言葉は、教育という観点からしたら失敗なのか…!!
自己中な人は本当は自己肯定感が低い
本の中で、以下のような文章があります。
自己中心的な人は、「自分のことが好き」だから、自分ばかり見ているのではありません。実相はまったく逆で、ありのままの自分を受け入れることができず、絶え間なき不安にさらされているからこそ、自分にしか関心が向かないのです。
『幸せになる勇気』より
ずっと今まで、わがままな人って自分大好きなんだろうな~~って思ってましたが、
実際は逆で、自分に自信がないが故・余裕がないからこそのわがままだったんだと納得。
自信がないから、わがままを言うことで注目を引きたいのかも、と思うと、ちょっとかわいそうにも思う。
人間を信じたアドラー
アドラーは、第一次世界大戦で、戦争の原因を考えるのではなく、どうすれば戦争を止められるかを考えたのだそうです。
そして、戦争をなくすには、目の前の人に信頼を寄せて仲間になることが大事だと悟ったんだそう。
むしろ、個人にできることはそれしかないと。
ここだけ読むと「綺麗事ばっかり言って」なんて思いがちですけど、
過去に目を向けず、「これからどうするか」を考える、実に現実的で為になる思考ですよね。
実家から出ただけでは自立とは言わない
愛すること=自立すること、というのを最初に呼んだとき、
「独身や恋人がいない人でも、自立してる大人はいっぱいいるけどな~」
なんて思ってしまったのですが、
「自立とは『わたし』からの脱却」
というのを知ったとき、納得しました。
他人に関心を持たず、わたしが幸せならそれでいい…と自由気ままに生きている、確かにこれって自立って言っていいのか?
あと、自立しているようで、実は他者から認められることを目的として生きている人も多そうだなと。現に私がそうでした。
青年、キレ過ぎじゃね
まあほんと、全然いいんですけどね。
青年、キレ過ぎじゃないですか。笑
やっぱり教師というストレスマックスの職に就いてたから、ブチギレてたんかな…
ここで青年の暴言集をお伝えしましょう。
引っ込んでろ!!あなたのような時代遅れの哲学者が出る幕じゃない!
こ、この人でなしめ!
こ、この忌々しい毒虫め!
この時代遅れのソクラテスめ!
軽口を叩くな、このサディストめ!
そうやって人の心を操っているつもりか、この偽君子め!!
…忌々しい!ああ、なんと忌々しい洞察だ!
撤回しなさい、いますぐ撤回するのです!!
『幸せになる勇気』より
青年、今は人を愛して幸せになってるとイイネ